実験動物の飼育環境
まず、実験動物に対する動物福祉の観点から、環境省の基準に疾病予防が義務付けられており(1,2)、SPF環境での飼育はその一つとなります。また、実験に用いた動物が病原性微生物に感染していた場合、実験成績に影響を及ぼし、再現性のある正しい実験結果を得ることが出来なくなってしまうことも重要なポイントです。加えて、ヒトがん研究や、再生医療・幹細胞研究において、動物にヒト細胞の移植実験を行う際、レシピエント(移植を受ける側)には重度免疫不全動物が必要になります。このような免疫不全動物を飼育するためには、高度にクリーンな環境が必須となる訳です。
このような事情から、医学系の動物実験施設では大変なコストを掛けながらも基本的にSPF環境で動物を飼育しています。ちなみに、我が国における実験動物のSPF化には、前述の実験動物中央研究所の創設者である野村達次先生が多大な貢献をしており、1962年に川崎市野川にSPF動物生産施設を作り、SPFマウスの種親を米国より輸入して、野川でSPFマウスの生産を開始したそうです(3)。
2. 実験モデルと飼育環境
ところで、ヒトの疾患を考えた場合、クリーン動物の結果は必ずしも適切でない(クリーンな飼育環境では病態を反映できない)ことがあります。私たちの研究グループが経験した事例をご紹介したいと思います。
私がかつて東大医科研に所属していた際、特定の糖鎖を認識する自然免疫受容体の一群であるC型レクチン受容体ファミリー分子の研究プロジェクトに参画していました。この中で、デクチン1というカビの細胞壁構成成分の一つであるβグルカンのセンサー分子をコードする遺伝子Clec7aを欠損させたマウス(Clec7a KOマウス)を用いて、デクチン1の免疫応答における役割の解明に関する研究を行なっていました。私たちは、研究所のSPF環境で飼育しているClec7a KOマウスを用いて大腸炎発症におけるデクチン1の役割を調べました。マウスにデキストラン硫酸ナトリウム塩(DSS)含有水を与えて飼育するだけで、ヒトの潰瘍性大腸炎に類似した急性の大腸炎を誘発することが出来る方法があり、ヒト潰瘍性大腸炎の疾患モデルとして広く使われています。私たちがClec7a KOマウスにDSSを投与して誘導大腸炎を誘発すると、対照の正常マウスと比較して大腸炎がとても軽症となっていることがわかりました。そこでこの結果をまとめて発表しようとしていたところ、Cedars-Sinai Medical Center(アメリカ)の研究グループからClec7a KOマウスにDSS誘導大腸炎を行うと増悪化するという真逆の研究結果が報告されました。ヒトの薬物療法不応答潰瘍性大腸炎(MRUC)患者はCLEC7A遺伝子座に存在する2つの一塩基多型(SNP)ハプロタイプと相関があるという結果と併せての説得力のある研究成果であり、トップジャーナル“Science”誌に掲載されました(4)。ではなぜ、私たちの研究グループと正反対の結果となっていたのでしょうか。