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コットンラット〜全身に病気を併存する不思議な実験動物〜

中村鉄平 獣医師、博士(獣医学)、北海道大学大学院獣医学研究院実験動物学教室 准教授

 皆さまの多くは実験動物と聞くとマウスやラットが頭に浮かぶのではないかと拝察いたします。実際には実験動物は多岐にわたり、私たちは目的に最も適う特性を持つ動物種を選択いたします。実験動物の特性に関する説明は成書に譲りますが、実験動物の新規特性は次々に明らかとなっています。近年では、ハダカデバネズミが老化やがんに抵抗性を持つこと(1)やハムスターがSARS-CoV-2に感受性が高いこと(2)はご記憶にある方もいらっしゃるのではないでしょうか。このコラムでは、ユニークな特性を持つコットンラットという実験動物について紹介させていただきます。

 コットンラット(英名cotton rat, 学名Sigmodon hispidus)は南北アメリカ大陸に分布するキヌゲネズミ科に属する齧歯類で、ラットの名がついていますがハムスターと近縁です。成体のコットンラットは頭胴長125-200mm、尾長75-166mm、体重70-310gとマウスとラットの中間の大きさです。雑食で、草の生い茂った草原や沼地を好んで生息します(3)。コットンラットの実験動物としての歴史は古く、1930年代にポリオウイルス感染によりヒトに類似する神経麻痺症状を発症することが見出されました。その他にも、コロナウイルスを含む様々なヒトの呼吸器感染症ウイルスへの感受性を持つことが知られ、SARS(4)やCOVID-19(5)研究にも使われています。我が国には1951年に輸入され、主に東大伝染病研究所で維持され、その後多くの研究機関に分与されたようです(6)。現在の日本国内においては、北海道立衛生研究所(HIS/Hiphなど)および宮崎大学(HIS/Mzなど)で近交系コットンラットが維持されています。私たちは北海道立衛生研究所および宮崎大学との共同研究により、近交系コットンラットが頭(水頭症)から尾(皮膚の脆弱性による自切)に至るまで全身に様々な病気を持つことを見出し、その表現型を解析してきました。以下にコットンラットで私たちが新規に見出した「併存症」、「希少疾患」モデル動物としての特性について記載いたします。

1)併存症モデル-慢性腎臓病を例に-

 私たちは、雌のHIS/Hiphが加齢性に腎臓の尿細管間質病変を主徴とする慢性腎臓病を呈すること、赤血球産生を促進するホルモンであるエリスロポエチン量が腎臓内で有意に低下し、腎性貧血に至ることを発見しました(7)。別途、雌のHIS/Hiphでは加齢性に骨盤結合が開離し、子宮頸部が肥厚することも見出しました(8)。興味深いことに、骨盤結合が開離した個体は高頻度に子宮蓄膿症を発症し、子宮蓄膿症は慢性腎臓病を増悪させました。骨盤結合開離と慢性腎臓病は卵巣摘出により抑制され、腎臓の病変部ではエストロゲン受容体が発現しました。まとめると、一見無関係と思われる骨盤結合の開離と慢性腎臓病を同時に発症すると、前者は後者の病態を間接的に増悪させ、両者の発症には性ホルモンが関与することが明らかとなりました。

以上のように、コットンラットは複数疾患を併存した際の相互作用やそれらを結びつける因子を解明できる「併存症モデル」となると考えます。

2)希少疾患モデル-下咽頭梨状窩瘻を例に-

 私たちは偶然、HIS/HiphおよびHIS/Mz系コットンラットにおいて、咽頭の梨状陥凹(ヒトだと魚の骨が引っかかりやすい部位)から甲状腺に向かって伸びる管状構造を発見しました(9)。管状構造の詳細は系統間で異なり、HIS/Hiphでは管状構造が甲状腺内部に終わり化膿性甲状腺炎を発症したのに対し、HIS/Mzでは管状構造は甲状腺の外側を走行し炎症反応はみられませんでした。これら管状構造は、ヒトの下咽頭梨状窩瘻(PSF)という稀な先天性疾患に酷似することがわかりました(10)。ここからは発生の話になります。哺乳類では胎児期の梨状陥凹から①胸腺と上皮小体、そして②甲状腺C細胞が発生し甲状腺周囲から胸腔へ移動します。これらは管状構造を形成しますが、移動後消失すべき管状構造が遺残した疾患がPSFであり、頸部膿瘍や化膿性甲状腺炎に至ります。コットンラットをさらに調べると、HIS/HiphはPSFにカルシトニン陽性のC細胞を含むので②に由来し、HIS/MzのPSFにはC細胞が存在しないので①に由来すると示唆されました。

 私が知る限りコットンラットは唯一のPSFモデル動物で、希少疾患であるヒトPSFの由来推定に極めて有用と考えられます。

 結語として、コットンラットはヒト病原体への感受性だけではなく、多臓器に多様な疾患を併存するユニークな特性を持つことが明らかとなりました。今後はコットンラットを利用し、個々の疾患の成因、疾患間の相互作用や根幹を成す因子の解明につながることを期待いたします。

[引用文献]

1. Oka K, Fujioka S, Kawamura Y, et al. Resistance to chemical carcinogenesis induction via a dampened inflammatory response in naked mole-rats. Commun Biol. 2022; 5: 287.

2. Sia SF, Yan LM, Chin AWH, et al. Pathogenesis and transmission of SARS-CoV-2 in golden hamsters. Nature. 2020; 583: 834-838.

3. Curlee JF, Cooper DM. Cotton Rat. In: The Laboratory Rabbit, Guinea Pig, Hamster, and Other Rodents. Cambridge: Academic Press; 2012. pp. 1105-1113.

4. Watts DM, Peters CJ, Newman P, et al. Evaluation of cotton rats as a model for severe acute respiratory syndrome. Vector Borne Zoonotic Dis. 2008; 8: 339-344.

5. Espeseth AS, Yuan M, Citron M, et al. Preclinical immunogenicity and efficacy of a candidate COVID-19 vaccine based on a vesicular stomatitis virus-SARS-CoV-2 chimera. EBioMedicine. 2022; 82: 104203.

6. 今道友則、高橋和明、信永利馬 実験動物の飼育管理と手技 東京ソフトサイエンス社; 1979. pp. 323.  

7. Ichii O, Nakamura T, Irie T, et al. Female cotton rats (Sigmodon hispidus) develop chronic anemia with renal inflammation and cystic changes. Histochem Cell Biol. 2016; 146: 351-362.

8. Ichii O, Nakamura T, Irie T, et al. Close pathological correlations between chronic kidney disease and reproductive organ-associated abnormalities in female cotton rats. Exp Biol Med (Maywood). 2018; 243: 418-427.

9. Nakamura T, Ichii O, Irie T, et al. Cotton rats (Sigmodon hispidus) possess pharyngeal pouch remnants originating from different primordia. Histol Histopathol. 2018; 33: 555-565.

10. Sheng Q, Lv Z, Xu W, Liu J. Differences in the diagnosis and management of pyriform sinus fistula between newborns and children. Sci Rep. 2019; 9: 18497.

コラム

国内承認ワクチンの非臨床試験を垣間見る    〜ワクチン開発と動物実験〜

 核酸ワクチンなどの新規剤型ワクチンが国内で承認され、薬事承認の過程を含む「いわゆる教科書」が書き換えられつつある。その影響か、マスコミ等で臨床試験や承認申請のスケジュールについて採り上げられることはあるいっぽうで、非臨床試験(動物実験)の経過を耳にすることはほとんどない。非臨床試験への社会的な関心度が低いとみなされているのかどうかはともかく、「非臨床試験の内容についても情報発信されている」ことを、ワクチンを例に紹介したい。

 独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)は、医療用医薬品情報を公表している 1)。この情報検索サイトで「ワクチン」の「審査報告書等」について文書検索すると、84件のワクチンが表示された (2022年8月末)。内訳は、インフルエンザ関連が28件、新型コロナ関連、麻しん関連、風しん関連が各7件、肺炎球菌が5件、百日せき関連、ジフテリア関連、破傷風関連、ポリオ関連、パピローマが各4件、ヘモフィルスb型と日本脳炎が各3件、水痘、おたふくかぜ、狂犬病、A型肝炎、B型肝炎、ロタウイルスが各2件、黄熱、結核、痘そう、帯状疱疹、髄膜炎菌が各1件とある (混合ワクチンは複数件にカウント)。同様に、一般社団法人日本医薬情報センター(JAPIC)では、1998年以降の医療用医薬品「日本の新薬」について検索可能である2)

 PMDAのサイトでは「審査報告書」に加え「申請資料概要」も公表されていることが多く (一部内容に未公表あり)、製造販売業者が提出した資料の概要、すなわち、開発の経緯や、承認申請までに実施した非臨床試験及び臨床試験の内容を垣間見ることができる。非臨床試験の内容については日付や実施機関などを除いて「審査報告書」内で開示されており、試験の目的のほか、げっ歯類や霊長類の使用についても具体的に記載されている。あるワクチンの非臨床試験結果には、「若齢及び高齢のマウス、ラット、ハムスター及びNHP(non-human primate、この場合はアカゲザル)において、高レベルの結合抗体及び中和抗体を誘導し、(以下略)」とある。また、「効力を裏付ける試験 (免疫原性試験、攻撃試験)」、「安全性薬理試験 (反復投与毒性試験、生殖発生毒性試験)」や「薬物動態試験 (生体内分布評価試験)」が行われたことのほか、このワクチンが臨床で6か月以上継続使用されないことから「がん原性試験」を実施していないことが記されている。

 日米EU医薬品規制調和国際会議(ICH)での合意に基づき、「医薬品の臨床試験のための非臨床試験の実施時期についてのガイドライン」が2010年に改正され、「医薬品の臨床試験及び製造販売承認申請のための非臨床安全性試験実施についてのガイダンス」がまとめられて現在に至っている (ICH-M3{R2})3)。この改正の主な目的は、承認審査資料の国際的なハーモナイゼーションを推進することにあり、「動物実験の3Rsの原則」に従うこと、および「早期探索的臨床試験のための非臨床試験」という概念を導入することなどにあり、これ以降、毒性試験や薬理試験など12の試験項目の安全性(Safety)についてICHガイドラインが各々整備されてきている (ICH-S1~S12)。

 臨床第Ⅰ相試験の初期に実施される「早期探索的臨床試験」に応じて、ヒト初回投与試験までに実施すべきマイクロドーズ試験や単回投与毒性などの非臨床試験が、げっ歯類および非げっ歯類を用いて実施される。すなわち「早期探索的臨床試験の開始時までに実施される非臨床試験は一部にすぎず、実施予定の臨床試験の時期や期間に応じて非臨床試験がデザインされる」のが一般的である。

 この分野の専門家ではない著者の私見ではあるが、「ほとんどの動物実験(試験)がヒト臨床に先だって実施されるもの」という、現実からやや乖離した先入観が社会の根底にあるように感じている。時に動物実験(試験)は「非臨床試験(前臨床試験)」などと記載されることもあり、研究者による社会に向けた正確な情報発信という点で誤解を生み易い表現には都度解説する必要があると自戒を込めて考えている。

【参考アドレス】

1. 独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA) 「医療用医薬品 情報検索」 

2. 一般社団法人日本医薬情報センター(JAPIC) 「医薬品情報データベース (iyakuSearch)」

3. 独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA) 「ICH 医薬品規制調和国際会議 ガイドライン 」

コラム

マウスやラットの技術トレーニングで使用される代替法教材

 シミュレーター(模型)や映像教材は、様々な教育現場における技術トレーニングに活用されています。特に医療分野や獣医療分野では様々な臨床技術に関する教材が開発されており、医師や獣医師の育成に使用されてきました。マウスやラットなどの小型齧歯類を対象とした教材についても、近年国内の複数のメーカーで開発が進められており、各施設の教育現場で浸透してきています。これらの代替法教材は初学者が技術を習得する際に、技術のイメージや手順を覚える際の助けになります。生体を使ったトレーニングを行う前にシミュレーターや映像教材を用いて事前学習を行うことにより、効率良く技術を習得することができます。さらに動物実験技術の教育現場で代替法教材を導入することは、実験動物福祉(3Rs: Replacement, Reduction, Refinement)に配慮した教育の実施に貢献します。このコラムでは2022年時点で、国内で入手可能な小型齧歯類の技術トレーニング用代替法教材を紹介します。

1. シミュレーター(模型)

マウスシミュレーター: Mimicky® Mouse

 Mimicky® Mouseはマウスの質感やサイズ、重量などを精巧に再現したシミュレーターです。初心者を対象としたシミュレーターであり、動物の抑え方や投与の手順などを確認する際に使用されます。尾の部分には模擬血管が埋め込まれており、尾静脈投与の練習が可能です。尾は本体と取り外しできるようになっており、尾の部分だけ別途購入し付け替えて使用することができます。マウス個体のシミュレーターは世界的に珍しく、その再現性の高さから海外からの評価も高いようです。Mimicky® Mouseの使用例についてはここから動画で確認できます。

また、同社よりサルの静脈採血・投与のシミュレーター(Mimicky® Vessel)も販売されています。

マウスの尾静脈投与・採血のシミュレーター:マウス尾静脈シミュレーター

 尾静脈からの投与・採血に特化したシミュレーターで、尾の部分のみの形で日本クレア株式会社から販売されており、ここから使用方法の動画を視聴できます。シリコン製の尾の内部に尾静脈のチューブが2本埋め込まれており、マウスの尾静脈が精巧に再現されています。保定器に接続し、インクなどの模擬血液をチューブ内に充填後、採血・投与のトレーニングを行います。実際に生体で投与・採血を行う時と比べて難易度はやや低く設定されており、初心者が手順を覚える上で調度よい難易度になっています。また材質の特性から耐久性が高く、繰り返し使用することができます。

ラットシミュレーター:NATSUME RAT

 ラットの基本手技を訓練するための初心者用シミュレーターの一つです。訓練可能な技術は保定、経口投与、尾静脈内投与・採血、気管挿管です。NATSUME RATは比較的古くから使用されてきた国産シミュレーターですが、近年リニューアルが行われ、材質が改良されました。ラットシミュレーターについては国内外で複数のものが存在します。実物のラットと各ラットシミュレーターの形態的な比較を調査した論文で、NATSUME RATは他のシミュレーターと比較し、頭部の形状や血管の位置、尾の構造をはじめとした各部位において形態の再現度が高かったと報告されています(1)。

株式会社夏目製作所 HP

2. 映像教材

 実際に、動画による視覚的イメージが、技術の習得に大きく貢献することが、アメリカの獣医学生を対象とした調査で明らかとなっています。犬の外科手術の際に、教員の講義内容(声)、シュミュレーターでの練習内容、自らまとめたノート、動画教材の視覚的イメージなどの学習内容うち、記憶をどこからリコールしたかを調査したところ、動画の視覚的イメージと回答した学生が圧倒的に多かったと報告されています(2)。

 映像教材はビデオカメラがあれば簡単に作成することが可能であり、各施設においてオリジナルの動画が作成・活用されています。また各種関連団体でマウスやラットの基本手技のDVDが販売されています。

 映像教材と上述のシミュレーターと組み合わせることによって学習効果はさらに高まります。

・ビデオジャーナル:JoVE

JoVE(Journal of Visualized Experiments)は動物実験技術に限らず様々な分野の実験技術をマニュアル付きで多数公開している査読審査式のビデオジャーナルです。各実験技術の動画が専門家の解説付きでまとめられており、新しく実験系を立ち上げる際などに役立ちます。

 JoVEに掲載されている実験動画の例:A Protocol for Housing Mice in an Enriched Environment

解剖シミュレーションアプリ:3D Rat Anatomy

 研究目的で解剖を行う際には、速やかかつ適切に臓器を採材することが要求されますが、そのためには各臓器の位置関係を理解しておく必要があります。3D Anatomyシリーズは3Dアプリの特性を利用することで、各臓器の立体的な位置関係を学習するのに有用な教材です。このシリーズでは犬や牛、鳥類をはじめとした様々な動物種のアプリがラインナップされていますが、小型齧歯類ではラットのアプリが販売されています。アプリはPC(WindowsおよびMacOS)、iPad、iPhone、Androidスマートフォンなど各種端末にダウンロードすることができます。3D Rat Anatomyは画面上の動物の各部位を拡大縮小、回転することができ、各器官の位置関係を容易に可視化することができます。また、骨、筋肉、内臓の透過度を調整したりすることで観察したい部位を強調することができます。なお3D Rat Anatomyは海外製品のため、器官名の表記がすべて英語となります。

biosphera HPにアプリのデモ動画が掲載されています。

[参考文献]

1. Corte GM, Humpenöder M, Pfützner M, Merle R, Wiegard M, Hohlbaum K, Richardson K, Thöne-Reineke C, Plendl J. Anatomical Evaluation of Rat and Mouse Simulators for Laboratory Animal Science Courses. Animals (Basel). 2021, 11(12):3432. 

2. Langebæk R, Tanggaard L, Berendt M. Veterinary Students’ Recollection Methods for Surgical Procedures: A Qualitative Study. J Vet Med Educ. 2016, 43(1):64-70.

コラム

情報発信のあり方を考える

 科学研究の継続や進展のためには一般市民の支持が必要不可欠です。毎年、Gallup社のアメリカ人の”実験動物を使った医学研究”に対する世論調査に注目しておりますが、2001年〜2019年にかけて徐々に低下してきました (容認率、65% ➝ 50%)。昨年はコロナの影響もあり56%と上昇しましたが、2021年に再び50%に低下しました。日本がお手本としてきた米国の動物福祉政策を以ってしても、容認率の低下は避けられないようです。今回は、関連する話題として、一昨年のJALAS総会にて、塩谷恭子先生が企画された英国Understanding Animal Research (UAR)の活動の一部を紹介させて頂きます。

 UARは、代表のWendy Jarrett氏と8名の職員で運営されるNPO団体で、動物実験に関する情報の透明性を高め、英国民から理解・支持を得ることを目的としている。現在、英国の124の主要な研究機関 (公的研究機関、大学、学会、製薬会社、飼育関連機器会社等)がUARに加盟し、加盟施設は下記の4つの協定を結び、UARは加盟施設への指導・助言を行う。

  1. 実験に動物を使用する場合、いつ、どのように、なぜを明確にする。

  2. メディアや一般市民に対し動物実験についてより積極的に情報を公開する。

   (HPに情報を掲載し、問い合わせや質問には確実に回答すること等)

  3. 自ら進んで動物実験について国民が知る機会を増やす 

  (出前授業や施設内のバーチャルツアー動画を公開する等)。

  4. 年に一度、UARに活動内容を報告し、加盟施設間で情報(成功/失敗体験)を共有する。

 加盟施設のうち、マスコミ向けに動物実験の情報を積極的に提供している施設は61箇所、外部の訪問客を受け入れた施設は57箇所、学校に演者を派遣あるいは施設に学生を受け入れた施設は56箇所、マスコミの撮影を受け入れた施設は13箇所である(2019年)。情報公開において先駆的な試みを行った施設には、12月に開催される情報公開表彰式において表彰される。

 UARは他にも様々な活動を行っている。Webサイトには様々な情報や統計データ、国内外の実験動物を用いた研究に関するニュースが提供されている。様々な動物実験のプロトコールについて、目的や利点だけでなく苦痛についても紹介され、また、学生、ジャーナリスト、一般人向けに動物実験の情報を提供するウェブサイトanimalresearch. infoや、複数の動物施設のバーチャルツアーが体験できるlabanimaltour.orgも作成している。twitter等ソーシャルメディアも積極的に用い、多方面に情報提供を行っている(COVID-19のワクチンの開発過程における動物実験を行う意義について説明した図は、英国の多くのメディアでシェアされた)。

 特に印象的な試みは、11〜18歳を対象に、UARがアンバサダーを学校に派遣し、ワークショップにて学生と”対話”することである若年層ほど動物実験に抵抗を持っているので、将来を担う若者に正しい情報を隠すこと無く提供し、自発的に理解を深めてもらうことが目的である。人は一方的に事実を投げかけられても正しい判断を下すことができないため、学生との共通点や見解の一致点を探すことができる”対話”形式を用いている。年間1万人のペースで、すでに10万人以上の学生と対話を行ってきた。アンバサダーは動物実験の専門家(研究者、医療関係者、獣医師等)や動物飼育スタッフからなる167名のボランティアである。彼らは、効果的な対話法やプレゼン法の研修を受けた後に学校に派遣される。UARのHPには、学校向けコンテンツの一部が公開されている。学生アンケートの結果、アンバサダーのうち管理獣医師の話が最も信用できるとのことである。また、学生や先生方に動物実験施設見学の機会も設けている。

 これらの試みによって、動物実験に関して英国民が入手できる情報は飛躍的に増え、事実を公表しても悪い影響や反発は起きていないこと、施設のHPで情報が豊富に入手できるため情報公開請求件数も減少し、動物実験に関するマスコミのネガティブな報道が大幅に減少したようだ。

 本稿ではUARの試みの一部を紹介しましたが、動物実験の社会的理解を得るための情報発信のあり方について、議論のきっかけになっていただければ幸いです。

コラム

JALAM会員からの寄稿

今野 兼次郎

コンノ ケンジロウ

国立循環器病研究センター研究所

寄稿文

温故知新、前島賞」

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安居院 高志

アグイ タカシ

北海道大学名誉教授

YouTubeチャンネルの紹介

前JALAM会長の安居院高志先生(北大名誉教授)が、YouTubeチャンネル「ブラ野食」を開設されました。本チャンネルでは、自然散策や山菜類の魅力を発信されております。
YouTubeで「ブラ野食」を検索いただき、ご興味のある方はぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/channel/UCmEoriPMtTlbujnPBQnY_9w

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特集

研究者が実践するサイエンスコミュニケーション(後編)

大谷祐紀 獣医師、博士(獣医学)、サイエンスコミュニケーター

(北海道大学大学院獣医学研究院、エジンバラ大学獣医学部)

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前編に続き、科学知見や専門的な情報を社会に伝える際に考慮すべき事項等について、獣医科学研究者として自身の研究の傍ら、サイエンスコミュニケーション活動に取り組んでいる科学研究者に概説していただきました。

JALAM学術集会委員会

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 前編では、サイエンスコミュニケーションの背景や基本的な考え方について述べました。後編では、私自身の経験をもとに、研究者がサイエンスコミュニケーションをおこなう際の実践的な手法をご紹介します。

サイエンスコミュニケーションの実践

 実際に、研究者がサイエンスコミュニケーション活動をする機会として、プレスリリースやインタビュー、ワークショップ、出張授業、または自身のウェブサイトやSNSを通じた研究の紹介が挙げられます。そのような情報発信活動のとき、より双方向性で中立的なコミュニケーションとするためにできることをみてみます。

 伝えたい相手をイメージする

 他のコミュニケーションと同様、情報の受け手側の立場に立つことが重要です。科学論文を書く際や学会で発表するとき、その相手は自分と近い専門性を持った人であり、共通認識事項の説明は省略し、端的に結果や考察を伝えることが、より効率の良いコミュニケーションの形です。一方、例えば大学広報から出されるプレスリリースは、大学1年生程度の教養を持っている人を受け手と仮定して、理解を促進するのに必要な情報を十分に付加しながら作成します。また、「その問題に関心がある人により理解を深めてもらうこと」を目的とするのか、もしくは「関心がない人に興味を持ってもらうこと」を目的とするのかにより、手法や内容が異なります。すなわち、伝える対象を漠然と「社会」とするのではなく「この問題に関心のある社会人」といった、一定の絞り込みをすることで、相手に届きやすい情報となります。

 具体的な数値や単位を用いる

 「急激な」や「若年層」など、抽象的な言葉ではなく、「40%の増加」や「30歳未満」といった科学知見に基づくデータを数値で示すことは、情報を正確に伝えるという点で重要です。

 自分の研究、そして自身を俯瞰する

 自分の研究や関連する科学を“正確に理解してほしい”と思うほど、専門用語が増えたり、説明が冗長的になってしまうことがあります。「本当にこの情報は必要なのか」、「自分が高校生だったときに、この説明で理解できたか」といった視点で情報を客観的にみることで、より届きやすい表現を見出すことができます。ときに、平易な言葉を用いると正確性を欠くと感じる場合もあるかもしれません。情報の正確さと伝わりやすさのバランスは、サイエンスコミュニケーターも悩みながら取り組んでいるところです。「一番伝えたいことは何なのか」を自分の中で定め、それを軸とすることで、情報の取捨選択がしやすくなります。

 自分自身の色や思いを出すことも効果的な場合があります。どこか遠い大学の医学部教授が言っていることより、人柄知ったかかりつけのお医者さんの言葉が患者さんの心に届いたりするように、「伝え手がどんな人なのか」を知ることは、親近感を高め、受け手の関心が高まったり、情報を受け入れやすくなる効果が期待できます。そのため、研究者インタビューでは研究内容だけでなく、研究者の人柄が垣間見えるような質問を設定することが多くあります。

 自分ごととして捉えやすい表現を用いる

 例えばサイエンスカフェの来場者は、一般にその話題に関心がある人が大部分を占めることが報告されています(1)。しかし多くの場合、社会課題の解決には、これまで関心がなかった人に、理解し、考えてもらうことが出発点です。無関心層への働きかけのため、アートなど他の領域とコラボレーションする手法も近年よくみられます。一般に、人が科学について考えるときの多くは、その技術が自分の生活に関係していると感じるとき、すなわちその問題がひとごとではなく「自分ごと」になるときです。共有したい事柄について、例えば身近な例を用いるなど、相手にとって共感が湧きやすい情報を示すことは、関心を高め、理解を促し得る手法です。

 他の人の意見を聞く

 ピアレビューと言いますが、ある程度完成した作品を他の人に見せ、意見をもらう過程が非常に重要です。特に自分の研究に関連したことは、どの程度他の人が理解できるのか感覚が鈍っていたり、一般の認識とずれが生じていることがあります。通常、ピアとは「仲間や同僚」を意味しますが、必ずしも自分と立場の近い人を選ぶ必要はありません。逆にとても遠い立場の人にお願いする必要もなく、科学研究者であっても分野が異なれば「非専門家」であり、自分には見えない気付きをもたらしてくれるはずです。伝えたい層が明確であれば、その立場に近い人をピアとして選ぶのは情報の洗練に効果的です。

 現時点の日本では、科学者が積極的にサイエンスコミュニケーション活動に参画する機会はあまりないかもしれません。一方、外部競争的資金を利用する場合など、社会への情報発信を義務付けているものもあります。また近年、クラウドファンディングによる研究資金の調達も活発化しており、科学に対する社会の関心や理解を得ることは、社会課題を解決するという大義に加え、研究費の獲得に繋がります。研究の持続的発展という観点では、子どもを含めた市民の関心が高まることで、次世代の優秀な研究者が育つことも期待できます。実際に英国では、このような多角的な視点から、科学者の多くはサイエンスコミュニケーション活動に前向きな姿勢を示しています。

科学者とサイエンスコミュニケーション

 個人的な体感ですが、動物に関することは自然科学の中でも人々の関心が高く、その分、意見も多様化し、熱量も千差万別です。ただ、一般に大多数の人は動物のしあわせを願っていると私は考えています。動物実験/実験動物に関しては、世界中で常に議論がありますが、それに反対する人も科学者も、動物や人のしあわせといった、そう離れていない目標や信念を持っているのかもしれません。一方で、特定の意見こそなくても、私たちは日々、動物由来食品や製品、動物実験を経て開発された薬など、その恩恵を大いに享受して生きており、すべての人は動物に関する課題の利害関係者、ステークホルダーです。熱量の高い人だけでなく、すべてのステークホルダーがこの課題について考え、行動することが解決に必要であり、一科学者としては、サイエンスコミュニケーションを通じて多様な立場の人と情報を共有することがその一歩となると考えています。

 大震災やパンデミックなど、危機的状況が発生したときのサイエンスコミュニケーションは、特にリスクコミュニケーションと呼ばれます。東日本大震災および福島第一原子力発電所事故時には、耳なじみのない専門用語が汎用されることで社会は混乱し、その重要性が強く認識されました。その反省も踏まえ、SARS-CoV-2による新型コロナウイルス感染症パンデミックでは、専門家や各学会が積極的に社会と情報を共有する動きがみられました。一方で、何が「正しい」情報なのか専門家も私たちも模索する日々を過ごし、昨日まで正しかったことが、今日から間違った情報になることを実体験しました。情報の正確性を高めるのは、真摯な科学研究による知見の蓄積しかありません。一方で、その伝え方や受け手のリテラシー、または社会的な文脈により、科学的に正しいことが社会の「正解」になるとは限らないことを、私たち研究者は意識する必要がある時代だと感じます。再生医療や人工知能など技術が高度・複雑化する一方、社会における理解と倫理的な議論が追い付いていない課題も多く、サイエンスコミュニケーションの拡がりにより、議論が活発化することを期待しています。

参考文献

1. 加納圭,水町衣里,岩崎琢哉,磯部洋明,川人よし恵,前波晴彦.サイエンスカフェ参加者のセグメンテーションとターゲティング : 「科学・技術への関与」という観点から.科学技術コミュニケーション 第13号.2013; 3-16.

コラム

研究者が実践するサイエンスコミュニケーション(前編)

大谷祐紀 獣医師、博士(獣医学)、サイエンスコミュニケーター

(北海道大学大学院獣医学研究院、エジンバラ大学獣医学部)

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動物実験および実験動物については多様な意見が存在し、それらはときに摩擦の原因になります。欧米では、国民や社会の理解を促進するため、種々の団体が積極的に動物実験あるいは実験動物に関する情報を公開しています。しかしながら、日本においては動物実験および実験動物の情報公開に関する議論が不十分で、情報を公開することに対し不安があるという声も聞きます。科学が持続的に発展するには、正しい情報の能動的な発信が不可欠です。そこで、科学知見や専門的な情報を社会に伝える際に考慮すべき事項等について、獣医科学研究者として自身の研究の傍ら、サイエンスコミュニケーション活動に取り組んでいる科学研究者に概説していただきました。

JALAM学術集会委員会

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サイエンスコミュニケーションとは

 文部科学省はサイエンスコミュニケーションを「科学のおもしろさや科学技術をめぐる課題を人々へ伝え、ともに考え、意識を高めることを目指した活動」と定義しています。その上で、「研究成果を人々に紹介するだけでなく、その課題や研究が社会に及ぼす影響をいっしょに考えて理解を深めることが大切」と続きます(1)。すなわち、サイエンスコミュニケーションは「社会課題の解決に向けた、科学の場と社会間のコミュニケーション手法のひとつ」と、ここでは定義したいと思います。

 Science Communication/サイエンスコミュニケーションは、日本では科学コミュニケーション、科学技術コミュニケーションとも呼ばれ、その形式は新聞や雑誌、ウェブ記事などのライティング型、サイエンスカフェやワークショップなど対話型、グラフィックや設計といったデザインによるものなどさまざまです。サイエンスコミュニケーションを行う人をサイエンスコミュニケーターと呼び、専門教育を提供している大学や研究機関もあります。一方、日本において、日本科学未来館を除き、サイエンスコミュニケーターという職業はほぼ確立していません。裏を返せば、“サイエンスコミュニケーションをするんだ!”という気概があり、関連する素養があれば、誰でもサイエンスコミュニケーターとして活躍することができます。現在は、大学や研究機関の広報担当、新聞の科学欄や科学雑誌で執筆するサイエンスライター、SNSでの発信者、サイエンスカフェの聞き手、ファシリテーターなどが中心ですが、近年の需要と認知度の高まりにより、サイエンスコミュニケーターを職業とする動きもあります。

サイエンスコミュニケーションの歴史

 サイエンスコミュニケーション発展の前提として、通称「Trans-Science/トランス・サイエンス問題」について理解する必要がありそうです。トランス・サイエンスは1972年に物理学者Alvin Weinbergが提唱した概念です(2)。例えば原子力発電所の安全性を科学的に証明するには、数千の原子炉をつくり1 万年運転する必要があるそうですが、実際にその科学的検証を実行するのは非現実的と直感的に理解できると思います。つまり、科学的な安全性が100%示されていない中で、私たちは原発の利用について意思決定をしなければならない社会的場面に遭遇し、そして関する課題を実体験してきました。このように「科学に問うことはできるが、科学だけでは答えることのできない問題」をトランス・サイエンス(科学を超越した)問題と呼びます。1992年には、原子力といった不確実性が高く、かつ与える利害の規模も範囲も大きい技術は、科学哲学者Silvio FuntowiczとJerome Ravetzによって「Post-Normal Science/ポスト・ノーマルサイエンス」と捉え直されます(3)。そして、トランス・サイエンスやポスト・ノーマルサイエンス領域での課題解決には、それぞれの文脈で多様な立場の人が意思決定に関わることが必要と考えられるようになりました。

サイエンスコミュニケーションの発展

 具体的にサイエンスコミュニケーションが大きく発展したのは英国で、1985年に発生した牛海綿体脳症(BSE)がきっかけとされています。BSEの発生当初、英国政府が設置した科学研究者を含む専門委員会は「BSEがヒトに感染するリスクはわずかである」とし、政府はそれを根拠として牛由来食品の安全性を強調しました。のちの1996年に、感染牛を摂取したことによる人への感染が科学的に認められることとなり、科学および科学者に対する社会の信頼が揺らぎます(4)。それまでも、科学の場から社会への一方向性の知識提供は行われていましたが、この問題をきっかけに、科学の持つ不確実性、リスクを含む情報共有と社会との対話を通じた意思決定(この文脈だと、どのくらいの感染リスクで牛由来食品の製造・販売を禁止するか等)の重要性が強く認識され、双方向性のサイエンスコミュニケーションが発展したとされています(5)。

 このような背景を踏まえ、ここからは科学研究者として身に着けられるサイエンスコミュニケーション的視点の具体をみていきます。

サイエンスコミュニケーションの基本原則

 発展の歴史にあるように、サイエンスコミュニケーションは「双方向性」を原則としています。科学の場からは、社会に情報や知識を共有する、そして社会からは科学を使う立場の視点や考えを科学の場に伝える双方向性コミュニケーションの実践で、課題解決を目指します(下図) 。類似の概念としてアウトリーチがありますが、この場合、科学の場を「イン」サイドとし、その外、すなわち社会を「アウト」サイドとしていることから、インからアウトに伝える一方向性のコミュニケーションと捉えられ、正確にはサイエンスコミュニケーションとは区別されます(かつ、上から目線と批判的に捉えられることもあります)。また、パブリックエンゲージメント(公衆関与)は、特に市民や社会が積極的に意思決定や課題解決に参与することを促す手法であり、英国ではより双方向性の強いサイエンスコミュニケーションの一つと捉えられています。

 サイエンスコミュニケーションにおいて、受け手からの反応はさまざまで、自分の発した言葉に対し批判的な意見が返ってくることもあり、伝え手にとっては気持ち良いものではないかもしれません。ですが、自分が投じた情報により、伝えられた側がそれを受け止め、考え、意見を持ったという点で双方向性のコミュニケーションとしては大成功です。一方、隙のない完璧な知見の提供は伝え手の満足度は高いかもしれませんが、受け手が“へーそうなんだ”や“自分には関係ないことだ”と完結してしまった場合、それは一方向性のコミュニケーションとなります。サイエンスコミュニケーションの目的は社会における課題解決であり、「分かりやすく」そして「正確に」伝えることは非常に重要な過程ですが、ゴールではありません。

 もう一つの原則は「中立的」であることです。通常、サイエンスコミュニケーターは、科学者や科学技術とそれについて専門的知識を持たない人(非専門家)や社会の間に立ち、相互の理解を深め、両者のコミュニケーションを円滑にする役割を果たします。例えば科学者側が非専門家には理解しづらい用語を用いている場合は、理解しやすい言葉に置き換えたり、一方、社会からの疑問や意見が漠然としすぎている場合は、例を用いるなど、課題を明確にすることで科学者側もその意図をつかみやすくなります。この際、両者の立場を理解しつつも、どちらか一方を支持することや、批判することなく、中立的な立場を取り、コミュニケーションのバランスを取ることが求められます。自身の研究について述べるとき、中立性を維持することは難しいかもしれませんが、「受け手がどう捉えるか、または捉え得るか」を意識することは、中立性に繋がります。

 ここまで、サイエンスコミュニケーションの背景や基本的な考え方をみてきました。後編では、実際にサイエンスコミュニケーションを実践するときのテクニックや課題について述べていきます。

参考文献

1. 文部科学省「サイエンスコミュニケーションとは?」(2022年8月2日閲覧)

2. 吉岡直人.地球科学におけるトランス・サイエンスの諸問題.公益財団法人深田地質研究所年報.2017.

3. 香田正人.ポスト・ノーマルサイエンスとグローバル感度解析.横幹 5 巻 1 号.2011; 37-40.

4. 荻野晴之.福島第一発電所事故後 9 か月間の放射線リスクコミュニケーションに関する省察.保健物理 47 巻 1 号.2012; 37-43.

5. 元村有希子.科学コミュニケーターのキャリア形成 ~英国の現状~.科学技術コミュニケーション 第4号.2008; 69-77.

コラム

運動器を制御する非線維性コラーゲン分子の役割  〜遺伝子改変マウスモデル研究からわかったこと〜

岡山理科大学獣医学部 伊豆弥生(JALAM教育委員会)

 コラーゲンは、哺乳動物を構成するタンパク質の中で最も多く含まれる(全タンパク質の約30%)細胞外マトリクス構成成分であり、3本のa鎖からなる3重らせん構造(コラーゲン構造)を特徴とした分子群を表します。コラーゲン分子は、現在までに28種類が発見され、順番にI型、II型とローマ数字で番号が付けられています。コラーゲン分子は、自身が重合し線維を形成する線維性コラーゲンと、線維形成をしない非線維性コラーゲンの2つに大別されます。「コラーゲン」としてよく知られているのは、I型やII型であり、これらは線維性タイプに分類され、組織の構造基盤を構築します。一方、非線維性タイプは、ビーズ状や膜貫通型など様々な構造をもち、線維性タイプが作る線維の太さや長さなどの調節に関与する他、細胞の増殖や分化など、生理活性分子として機能することも知られています。私はこれまで、非線維性コラーゲンのうち、VIとXII型コラーゲンに着目して研究を行ってきましたので、本コラムでは、これらコラーゲン分子による運動器制御機構について、動物モデルの研究結果とともに紹介したいと思います。

1. 結合組織と筋肉を制御するVI型コラーゲン

 VI型コラーゲンは、a1、a2、a3鎖のヘテロトリマーを形成し、細胞外ではビーズ状あるいはマイクロフィブリル構造として認められる分子です。VI型コラーゲンは、N末端とC末端に球状のドメインを持ち、この部分でI、II、IV、XIV型コラーゲンやインテグリン、NG2プロテオグリカンなど様々な細胞外マトリクス分子と相互作用することで、細胞や組織の安定性に寄与していると考えられています(1)。ヒトのVI型コラーゲン遺伝子(COL6A1COL6A2COL6A3)変異は、重症型のウルリッヒ病(厚生労働省指定難病29)と軽症型のベスレムミオパチー(同指定難病31)の原因として知られ、日本ではそれぞれ約300人、100人の罹患者がいると報告されています。本疾患は、生後初期から遠位関節の過伸展、近位関節の拘縮、ならびに筋肉量と筋力の低下を主徴としています。すなわち、筋肉だけでなく、結合組織も機能障害を受けることを特徴とする疾患です。

 Bonaldoらは、1998年にヒトCOL6A1遺伝子のマウスオルソログであるCol6a1遺伝子を欠損させたマウスを作出し、VI型コラーゲンが欠失すること、ベスレムミオパチーの病態モデルとなることを発表しました(2)。彼らはまた、VI型コラーゲン欠失は、持続的なアポトーシスや酸化ストレスの増加、オートファジーの減少を引き起こすことを明らかにし、これが筋再生を障害していると結論づけています(3)。この結果をサポートするように、Merliniらは、VI型コラーゲンの下流のシグナル分子をターゲットとした処置により、病態モデルマウスと罹患者で治療効果を報告しており(4)、VI型コラーゲンが調節する細胞内制御機構が筋病態の発症に重要であることが明らかになってきました。

 一方、我々のグループは、Col6a1遺伝子欠損マウスの腱と骨の研究から、VI型コラーゲンの細胞外マトリクスとしての重要性を明らかにしました。腱は、I型コラーゲン細線維を最小単位とし、これが線維、線維束と集合した構造体であり、各ユニットは、それぞれエピテノン、エンドテノン、ペリテノンと呼ばれる結合組織の膜で覆われ、伸縮時に独立して動くことで、腱の柔軟性を維持しています。一方、I型コラーゲンを産生する腱細胞は、発生・成長過程において、腱の長軸方向に沿って縦列し、細胞体同士で結合することで、縦に連なる細胞群として認められ、同時に、横方向へと細胞突起を伸ばし、近隣の細胞と結合します。腱細胞で産生・重合されたI型コラーゲン細線維は、腱の長軸方向に沿って分泌され、横方向に伸張した腱細胞突起で取り囲まれることで、線維ユニットが形成されます。VI型コラーゲンは、上述した腱の結合組織膜に局在しており、Col6a1遺伝子欠損マウスでは、腱細胞は変形し、突起形成が抑制されることが電子顕微鏡学的解析により明らかになりました。また、細胞外では、I型コラーゲン細線維の配向性の乱れや細線維の密度が増加するとともに、腱の力学特性が低下しました。このため、細胞外のVI型コラーゲンは腱細胞の形状を維持することで、I型コラーゲンの分泌や配向性の制御、その結果として生じる力学的特性の獲得に寄与すると考えられました(5)。実際、このような細胞の変形は、COL6遺伝子変異患者から得られた腱細胞や(6)、Col6a1欠損マウスの骨芽細胞でも確認されています(7)。以上のように、我々は、細胞外VI型コラーゲンが細胞と細胞外環境の維持において重要な役割を担うことを明らかにしました。これらの知見から、細胞外のVI型コラーゲンが欠失することで、細胞形状を維持することが難しくなり、アポトーシスなど細胞内制御が破綻し、筋肉や腱の機能障害を引き起こすと推測されます。

2. 結合組織と筋肉を制御する新たな分子―XII型コラーゲン

 我々とHicksらのグループは、2014年に、VI型コラーゲン遺伝子疾患と類似した臨床症状を持つヒトの患者からXII型コラーゲン遺伝子(COL12A1変異を同定しました(8)(9)。現在では、本疾患はエーラス・ダンロス症候群(厚生労働省指定難病168)のミオパチー型(mEDS)として分類されています(10)。mEDSは、遺伝子が同定されたことで、2014年以降、世界中で患者数が増加している疾患です。XII型コラーゲンは、3重らせん構造からなるコラーゲン領域が非コラーゲン領域により分断された構造を特徴するFACIT(Fibril Associated Collagens with Interrupted Triple Helices)に分類されるコラーゲン分子で、VI型コラーゲンとは全く異なる構造をとります。XII型コラーゲンは、2つのコラーゲン領域と3つの非コラーゲン領域で構成され、大きいNC3領域を持つことから、この部位で様々な分子と相互作用すると考えられています。我々は、2011年にマウスのXII型コラーゲン遺伝子(Col12a1)欠損マウスを作出し、ヒトmEDSの病態モデル動物となることを報告しました。現在までに、Col12a1欠損マウスは、体が小さく、筋肉、腱、骨が脆弱化することがわかっています(11)(8)(12)。我々は、XII型コラーゲンの機能を解明するため、Col12a1欠損マウスから単離した初代培養の腱細胞と骨芽細胞を用いた免疫細胞染色により、XII型コラーゲンの局在を解析しました。その結果、XII型コラーゲンは細胞が隣接する細胞と結合する際、細胞間を物理的に結合するコラーゲンブリッジを形成することを見出しました(図1(13)(12))。また、ギャップ結合を通過する色素を用いた細胞間コミュニケーション機能解析では、XII型コラーゲンが欠損すると、骨芽細胞間での色素交流が認められないことから、XII型コラーゲンが細胞間コミュニケーションに必要不可欠な分子であると考えられました。これらの知見から、mEDS病態でみられる結合組織の脆弱化は、細胞間コミュニケーション障害に起因すると我々は考えています。

3. VI・XII型コラーゲンの相互作用

 上述したように、VI型コラーゲン遺伝子疾患とmEDSは類似した病態をとることから、原因となるVI型とXII型コラーゲンの共通した機能の存在が推測されます。我々は、XII型コラーゲン解析で見られたコラーゲンブリッジ形成について、VI型コラーゲンの関与を解析したところ、興味深いことに、VI型コラーゲンもまた細胞間を物理的に結合するコラーゲンブリッジを形成することを見出しました。また、Col12a1欠損マウス由来細胞では、VI型コラーゲンによるコラーゲンブリッジ形成は抑制され、Col6a1欠損マウス由来細胞でも同様な結果を得ることができ、これら分子がともに細胞間の物理的結合を担うことを明らかにしました(13)。加えて、Wehnerらは、ゼブラフィッシュの脊髄損傷モデルを用いた実験から、組織再生時に伸長する神経細胞は隣接する細胞とXII型コラーゲンを介して結合することを報告しており(14)、コラーゲンブリッジが組織形成だけでなく、組織再生においても重要な役割を担うと考えることができます。以上の知見から、VIおよびXII型コラーゲンによる細胞間の物理的結合が、細胞形状維持と細胞間コミュニケーションの構築に必須であり、これにより組織・臓器の機能性維持に寄与するものと我々は考えています(図1)。

4. 今後の課題

 今回紹介したVI及びXII型コラーゲンは、結合組織と筋肉の両方の働きと密接に関わる分子であることが分かってきましたが、結合組織での機能が明らかになる一方、筋肉での機能解明には至っていません。筋疾患を始め未だ解明されていない病態には複雑な背景が存在しているでしょう。これら背景には、各臓器でのローカル制御だけでなく、臓器間クロストーク制御など全身性の制御機構が関与していると考えられており、組織あるいは細胞特異的、時期特異的など、さまざまな条件で遺伝子発現を制御する実験動物モデルを作出することで、複雑な病態の解明につながると期待されます。

参考文献

1.       Cescon M, Gattazzo F, Chen P, Bonaldo P. Collagen VI at a glance. J Cell Sci. 2015;128:3525–31. 

2.       Bonaldo P, Braghetta P, Zanetti M, Piccolo S, Volpin D, Bressan GM. Collagen VI deficiency induces early onset myopathy in the mouse: An animal model for Bethlem myopathy. Hum Mol Genet. 1998;7(13):2135–40. 

3.       Castagnaro S, Gambarotto L, Cescon M, Bonaldo P. Autophagy in the mesh of collagen VI. Matrix Biol. 2021;100–101:162–72. 

4.       Merlini L, Bernardi P. Review article. Neurotherapeutics. 2008;5(4):613–8. 

5.       Izu Y, Ansorge HL, Zhang G, Soslowsky LJ, Bonaldo P, Chu M-L, et al. Dysfunctional tendon collagen fibrillogenesis in collagen VI null mice. Matrix Biol. 2011;30(1):53–61. 

6.       Antoniel M, Traina F, Merlini L, Andrenacci D, Tigani D, Santi S, et al. Tendon Extracellular Matrix Remodeling and Collagen VI Mutations. Cells. 2020;9(2):409. 

7.       Izu Y, Ezura Y, Mizoguchi F, Kawamata A, Nakamoto T, Nakashima K, et al. Type VI collagen deficiency induces osteopenia with distortion of osteoblastic cell morphology. Tissue Cell. 2012;44(1):1–6. 

8.       Zou Y, Zwolanek D, Izu Y, Gandhy S, Schreiber G, Brockmann K, et al. Recessive and dominant mutations in COL12A1 cause a novel EDS/myopathy overlap syndrome in humans and mice. Hum Mol Genet. 2014;23(9):2339–52. 

9.       Hicks D, Farsani GT, Laval S, Collins J, Sarkozy A, Martoni E, et al. Mutations in the collagen XII gene define a new form of extracellular matrix-related myopathy. Hum Mol Genet. 2014;23(9):2353-2363. 

10.     Malfait F, Francomano C, Byers P, Belmont J, Berglund B, Black J, et al. The 2017 International Classification of the Ehlers–Danlos Syndromes. Am J Med Genet Part C. 2017;26:8–26. 

11.     Izu Y, Sun M, Zwolanek D, Veit G, Williams V, Cha B, et al. Type XII collagen regulates osteoblast polarity and communication during bone formation. J Cell Biol. 2011;193(6):1115–30. 

12.     Izu Y, Adams SM, Connizzo BK, Beason DP, Soslowsky LJ, Koch M, et al. Collagen XII mediated cellular and extracellular mechanisms regulate establishment of tendon structure and function. Matrix Biol. 2021;95:52–67. 

13.     Izu Y, Ezura Y, Koch M, Birk DE, Noda M. Collagens VI and XII form complexes mediating osteoblast interactions during osteogenesis. Cell Tissue Res. 2016;364(3):677–9. 

14.     Wehner D, Tsarouchas TM, Michael A, Haase C, Weidinger G, Reimer MM, et al. Wnt signaling controls pro-regenerative Collagen XII in functional spinal cord regeneration in zebrafish. Nat Commun. 2017;8(1):126. 

コラム

がんも遺伝する:モード・スライの功績

 現在では、化学物質、活性酸素、ウイルス感染、生活習慣や加齢など、さまざまな原因により複数の遺伝子に異常が生じ、がんが生ずることがわかってきている。本コラムでは、実験動物学の黎明期である1900年代初頭の化学発がん説やウイルス発がん説が優勢な頃、マウスを用い、がん遺伝説を提唱したモード・スライ(Maud Slye)を紹介します。

独楽鼠(こまねずみ)

 リンネが名付けたマウスの学名「Mus musculus(ラテン語)」のmusは古代サンスクリット語の「泥棒」を意味するmushaに由来している。ディズニーが自室に迷い込んだマウスを餌付けし、このマウスを参考にキャラクターを考案したというのは架空の話のようだが、招かれざる客が、歓迎すべき客となり、飼い慣らし繁殖したものが現在の愛玩用マウス(ファンシーマウス)になったとの説が有力である。他の愛玩動物と同様、古代より愛好家たちは、興味深い毛色や行動パターンを持つ珍しいタイプを選んで交配・維持してきたようだ。1920年代には、英米でマウス愛好家組織が結成されたほどポピュラーな存在になった。このムーブメントは1927年のミッキーマウスの誕生にも影響を与えたかもしれない。

 1890年代の米国では、ワルツを踊るようにくるくる回る、ジャパニーズワルチングマウス(Japanese waltzing mouse :JWM)がペットとして人気を博した。心理学者のロバート・ヤーキーズは、このマウスの由来や習性を調べ本にまとめている [1]。このワルツを踊るマウスは、紀元前の中国の漢の時代の文献に登場している。日本では独楽鼠または舞鼠と言われていた。JWMは、中国から日本を経て欧州に到着し、その後、米国に上陸したと思われる。ヤーキーズが所有したJWMは、白地に黒の斑点や縞模様が入っていたことから、JF1マウス(パンダマウス)と同様、エンドセリン受容体B型遺伝子(Ednrb)の変異をもっていたのであろう [2]。JWMは、旋回運動を示すほか難聴でもあり、これらの症状は、遺伝性の内耳の構造異常に起因する場合が多い。平衡感覚がおかしいので、体勢を維持するために旋回するのである。この表現型(遺伝変異)を持つマウスは1947年にジョージ・スネルによってジャクソン研究所へ導入され、現在でも同所に受精卵が凍結保存されている[2]。2001年に、聴覚と平衡感覚器官の異常の原因としてカドヘリン23遺伝子の変異が同定された [3, 4]。また、カドヘリン23は、人の先天的難聴を伴う遺伝病であるUsher症候群の原因遺伝子と同一であることが判明した [5]。

近交系黎明期

 以前のコラムでクラレンス・リトルと共に登場したアビー・ラスロップは、1900年、マサチューセッツ州グランビーでペット用の小動物の繁殖会社を起業する。彼女が所有したJWMのペアなど様々な種類の小動物は、ペットとして飼われる他に、全米の多くの研究者から注文が相次いだ。1900年に、メンデルの法則の再発見に関連する論文が発表され、多くの研究者が、同法則の動物への適用に関心を持ったのも一因である。ラスロップが収集・生産したマウスは、すでに毛色などを指標に近親交配を繰り返しており血縁係数が高いものであったようだ。1908年には早くも、ラスロップは、生活環境はほぼ同じであるにもかかわらず、JWMを含むマウスの家系によって、腫瘍の発生部位や発生率が異なることに気づく。1918年までに(この年、彼女は他界)、病理学者のローブと共に、数世代に渡る遺伝実験を行い、マウスの癌の遺伝に複数の因子が関与している可能性を示した [6]。アーネスト・ティザー(ティザー病で有名)も、1907年、マウス家系によって自然発生する腫瘍の発生率が異なることを報告している [7]。

 前コラムの繰り返しになるが、リトルとティザーは、JWMに生じた肉腫の雑種への移植は成功するが、逆方向の移植は拒絶されるという発見をした [8]。この観察からリトルは、がんの研究を進めるためには、遺伝的に非常に近い近交系(純系)動物を作らねばならないと考え、1919年にDBAという純系のマウスを作出した。この発見は、1936年の主要組織適合性複合体およびH-2抗原の発見へと発展していくが、近交系動物が医学・生物学の進歩に及ぼした貢献は計り知れない。

 新しい概念の発見が、同時に複数の研究者によってなされることがある。最近では、免疫チェックポイント阻害薬の抗PD-1/ PD-L1抗体、抗CTLA-4抗体であろうか(本庶佑とジェームズ・アリソンが2018年ノーベル生理学医学賞)。ラスロップ、リトル、ティザー達と同時代に、ひっそりと純系マウスを育て研究している人がいた。

モード・スライ [9, 10, 11, 12]

 スライは、1869年、ミネソタ州ミネアポリスで生まれた。シカゴ大に入学後、裕福ではなかったこと、また、当時、女性向けの奨学金はほとんどなかったことから、学費と食費を稼ぐためのアルバイトと勉学の多忙な大学生活を送る。その結果、体調を崩し、シカゴ大学を中退する。1899年、編入したブラウン大学で学士号を取得した。その後、師範学校の心理学の教職につき、遺伝学や精神医学に触れることになる。1908年、教師の仕事を辞め、シカゴ大学の動物学教授のもとで助手を務めることになった。病気の遺伝に興味を持っていた彼女は、6匹のJWMを使って研究を始め、JWMが、がん好発系でもあったことから、旋回運動の遺伝様式ではなく、がんの遺伝様式を調べることにした。がんを発症するマウスと、がんにならないマウスを交配させ、その子孫がどうなるかを観察した。彼女は、シカゴ大学構内の家に、数多くのマウスと暮すことになる。1911年にシカゴ大学の正規職員になるまでは、自費でマウスや餌、床敷を購入し、1日18時間、一人で多くのマウスの世話と観察を行った。マウスのために食事をしないことも度々あった。晩年の講演で述べているが、ケージを滅菌するなど衛生状態に非常に気を使っていたため、常時、数千匹のマウスを収容する実験室では、30年間、感染症の発生は無かった。飼育の状態や食事などの環境因子を極力同一にし、表現型のばらつきが生じないようにした。すべてのマウスの背後には、彼女が書き続けた100世代以上の先祖からの遺伝記録、臨床記録、剖検記録、組織学的記録が存在する。そのため、すべてのマウスの背景情報がわかり、どんな病気にかかりやすいか、何歳まで生きるか、どのような原因で死ぬかも予想できたようだ。彼女は、30年以上の研究生活で15万匹のマウスを交配・飼育して、マウスの表現型を詳細に観察し、そのうち3万匹に様々ながんが発生したことを記録している。1914年までに、5000匹にも及ぶ質量共に膨大な遺伝実験と剖検によって遺伝性腫瘍の存在を確認し、さらにがん抵抗性は優性形質、がん感受性は劣性形質であるとの説や、がん発生には特定の部位に継続的な刺激が必要であると提唱した。この結果をアメリカ癌学会や論文で発表し、脚光を浴びることになる。彼女の説は、上述のリトルから、がんにおける遺伝が果たす役割を単純化しすぎており、実際に起こっていることは、単一遺伝子のメンデル遺伝で説明されることよりも複雑であるという批判を受けた。しかし、筆者は、彼女の説は、今では当たり前となった遺伝性がんの概念を初めて発見したという点で極めて重要だったと思う。その後、彼女は研究を進めるうちに、がんの発生は遺伝の関与だけでは説明できないことを認識するようになる。後年、彼女は、がんの発生には、「遺伝的な感受性」と「がんになりやすい組織への長期的な刺激」という2つの条件が必要であると考えた。現在、遺伝性がんは、がん全体の10%程度であり、環境要因がどのように遺伝子を変化させ最終的にがんを引き起こすか、という研究が盛んに行われている。スライの研究はその端緒となった。1922年には助教授に、1926年に准教授に昇進した。1936年、欧州で開催された国際がん対策会議に出席のために、彼女はマウスを助手に任せ、26年ぶりに休暇を取った。それ以前には、カリフォルニアで病気療養中の母親を訪ねる際には、トレーラーを借りてマウス達を連れて行った。彼女は、1914年に米国医学協会から、1922年に米国放射線学会から金メダルを授与された。1923年にノーベル賞の候補にもなったが、受賞には至らなかった。また、1915年にシカゴ大学からリケッツ賞を、1937年にブラウン大学から名誉博士号を授与された。1944年にシカゴ大学を定年退職した後、余生をデータ解析に費やし、1954年に心臓発作で亡くなった。

 彼女の楽しみは詩を書くことだった。1934年と1936年の2冊の詩集を出版し、約700編の詩を発表した。一部の詩は彼女の科学への献身的な取り組みを物語っている。

I pace the world because I am storm-driven, By this compelling of creation.

「私が世界を歩むのは、この創造の説得力によって駆り立てられているからである」

The robin does not wait to ask you like his song, He sings because he must.

「コマドリは自分の歌が好きかどうかを聞くために待つのではなく、必要だから歌うのだ」

 スライの時代には、解析手法がなかったこともあり、がんの遺伝様式の観察に留まり、がんの原因や発症メカニズムを見出すことはできなかった。がんの発生機序は、がん遺伝子SRC(1976年)やRASの発見(1982年)、がん抑制遺伝子RBの発見(1986年)をきっかけに解明されていくのは周知の通りである。また、多数の遺伝子が作用し、さらに環境要因が加わって起こる病気のことを多因子疾患というが、がんの多くは、正に多因子疾患である。多因子疾患の原因遺伝子の同定が可能になるには、2000年代まで待たなければならなかった。

 本コラムでは、あまり語られることはありませんが、重要な発見し、且つ心に残る研究者を取り上げました。彼女の根気よく真実に迫る執念や持続性を、是非、見習いたいものです。また、古のマウス研究者達の努力と功績に感謝しつつ、この分野の発展に微力ながら貢献したいと思いながら、筆を置かせて頂きます。

参考文献

[1] Robert Yerkes, The Dancing Mouse: A Study in Animal Behavior. 1907.

[2] https://www.jax.org/strain/000275

[3] Wilson SM et al, Mutations in Cdh23 cause nonsyndromic hearing loss in waltzer mice. Genomics. 74(2):228-233. 2001.

[4] Di Palma F et al, Mutations in Cdh23, encoding a new type of cadherin, cause stereocilia disorganization in waltzer, the mouse model for Usher syndrome type 1D. Nat Genet. 27(1):103-107. 2001.

[5] Bolz H et al, Mutation of CDH23, encoding a new member of the cadherin gene family, causes Usher syndrome type 1D. Nat Genet. 27(1):108-112. 2001.

[6] Abbie Lathrop & Leo Loeb, Further investigations on the origin of tumors in mice. V: The tumor rate in hybrid strains. Journal of Experimental Medicine. 28(4): 475-500. 1918.

[7] Ernest Tyzzer. A study of heredity in relation to the development of tumors in mice. The Journal of Medical Research. 17(2):199-211. 1907.

[8] Clarence Little & Ernest Tyzzer. Further experimental studies on the inheritance of susceptibility to a transplantable tumor, carcinoma (J.W.A.) of the Japanese waltzing mouse.  The Journal of Medical Research. 33(3): 393-453. 1916.

[9] Maud Slye, The incidence and inheritability of spontaneous cancer in mice.  The Journal of Medical Research 32: 159–172. 1915.

[10] https://mag.uchicago.edu/science-medicine/storm-driven

[11] https://www.lib.uchicago.edu/ead/rlg/ICU.SPCL.SLYEM.pdf  Guide to the Maud Slye Papers 1910s-1930s, University of Chicago Library.

[12] Maud Slye, Proceedings. The genetics of cancer in mice. Forty-first annual meeting of the United States livestock sanitary association. 241-257. 1937

コラム

米国獣医学会(AVMA)動物の安楽死指針2020年版出版記念 -紹介動画-

 日本実験動物医学専門医協会は、AVMAと翻訳契約を取り交わし、「米国獣医学会 動物の安楽死指針(安楽死ガイドライン):2020年」版の翻訳本(翻訳者代表 黒澤努、鈴木真)を出版しました。本ガイドラインは、国際的に容認される具体的な安楽死法を示しており、主に獣医師を対象に記載されています。専門的ではありますが、最新の情報を網羅しており、獣医師以外の動物にかかわる方々の指針としても重要な文献です。(原文はこちら

 2013年度版から改訂された2020年版では、第3章にS1コンパニオンアニマル、S2実験動物、S3家畜、S4馬、S5鳥類、S6魚類と水生無脊椎動物、S7野生動物と7つの動物に区分されて記載されています。

 日本実験動物医学会および日本実験動物医学専門医協会は、本指針が広く周知されることで、わが国の動物福祉がより向上することを期待します。また、実験動物ならびにその他の動物の人道的な取り扱いを広めるための啓蒙活動を継続していきます。

米国獣医学会(AVMA)動物の安楽死指針(安楽死ガイドライン)2020年版の紹介

https://vimeo.com/719001280

炭酸ガスを用いた安楽死

https://vimeo.com/710990217

Compassion Fatigue(共感疲労)

https://vimeo.com/710990398
https://vimeo.com/720976209

Compassion Fatigueについて、さらに知りたい方はこちらもご覧ください。

安楽死にまつわる諸問題 part2

動物実験従事者におけるCompassion Fatigueの分類(ProQOLを用いた分類)

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