遺伝子改変モデル動物の現在と展望
東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 実験動物学研究室
藤井渉
遺伝子改変モデル動物
実験動物は、ヒトの疾患の発症メカニズムの解明やその予防・治療法の開発に極めて重要な役割を果たしています。ヒト疾患の再現を目的として、様々な疾患モデル動物の開発が続けられており、基礎研究だけでなく応用研究や創薬開発など幅広い分野で利用されています。
疾患モデル動物の中でも、遺伝子改変モデル動物は、疾患の発症メカニズムや遺伝的背景を解明するうえで欠かすことのできないツールです。遺伝子改変モデル動物とは、遺伝子改変技術を用いてゲノム配列情報を意図的に改変した動物を指します。遺伝子改変モデル動物には、外来遺伝子を挿入することで新たな性質を持たせる「トランスジェニック動物」、特定の遺伝子を削除することでその機能を失わせる「ノックアウト動物」、または特定の遺伝子領域を目的に応じて改変する「ノックイン動物」など、様々なタイプがあります。特に遺伝子ノックアウトは、その動物内で通常は機能している遺伝子を人為的に破壊してしまうことで、その遺伝子が体の中でどのような生理的役割を果たしているか、また疾患とはどのように関与しているか、などを調べるうえで非常に重要な手法です。例えば、ヒトのある疾患で機能不全が示唆されるような遺伝子をモデル動物で破壊することで、その遺伝子と疾患との因果関係を示すことができ、さらには、そのような動物を用いて、新たな治療法の開発を進めることができます。
かつて、遺伝子ノックアウト動物を作製するためには「ジーンターゲティング法」と呼ばれる方法が一般的に使用されていました。この方法では、増殖可能でかつ個体発生も可能な多能性幹細胞などを用いて遺伝子を改変するというプロセスが必要でしたが、この改変効率は非常に低いものでした。さらには、改変された幹細胞から動物個体を作出し、交配を繰り返すことで全身に遺伝子改変が反映された動物を得ますが、このプロセスにも非常に多くの時間、労力、コストを要し、研究者にとって大きな負担となっていました。また、作製に必要となる動物の個体数が多いことも課題でした。
ゲノム編集技術の登場
このような背景の中で革新的なブレイクスルーがもたらされました。それが「ゲノム編集技術」の登場です。この技術は、細胞が持つ自然なDNA損傷修復機構を巧妙に利用したものです。我々の体内では、紫外線、化学物質、ストレスなどの環境要因によってDNA損傷が日常的に発生していますが、細胞にはこの損傷を迅速に修復する仕組みが備わっています。ゲノム編集技術は、この修復過程を利用してゲノムDNAを改変する技術です(図1)。具体的には、特定の場所でDNAを切断する酵素を用います。この酵素がゲノム中の標的部位を認識し、切断を行うと、細胞はその損傷を修復しようとします。しかし、修復過程でエラーが生じることがあり、その結果として目的の座位のDNA配列に欠失や挿入などの変異が起こり、もとの配列から変化してしまう、という仕組みを利用します。ゲノム編集を遺伝子がコードされている場所に利用すれば、変異によって遺伝子を壊すことができるため、特定の遺伝子の高効率なノックアウトが可能となりました。

図1. ゲノム編集
ゲノム編集技術は、ジンクフィンガーヌクレアーゼ(Zinc Finger Nuclease, ZFN)と呼ばれるDNA切断酵素の開発によって注目されるようになりました。この酵素は、DNAを認識するタンパク質ドメインのジンクフィンガーとDNAを切断する酵素を融合させたもので、ジンクフィンガー部分を特定の配列に結合するよう設計することで、ゲノムDNAの狙った部位を切断し、変異を導入できるようになりました。同様に、DNA結合タンパク質であるTALエフェクターとDNA切断酵素を組み合わせたTALEN(Transcription Activator-Like Effector Nuclease)も開発され、広く利用されてきました。一方、2013年には新たなゲノム編集ツールとしてCRISPR/Cas9システムが発表されました。このシステムでは、DNAを認識する部分が、ZFNやTALENのようなタンパク質ではなく、ガイドRNA(gRNA)と呼ばれる短いRNA分子によって構成されています。そのため、標的配列に合わせた設計が容易で、従来の方法に比べて手間をかけずに利用できるようになりました。ゲノム編集技術の研究は急速に進展しており、遺伝子改変動物の作製プロセスは劇的に効率化されました。従来のジーンターゲティング法で必要とされた幹細胞は使わずに、受精卵内で直接遺伝子改変を行えるようになり、個体化に必要なステップや動物の個体数を大幅に削減できるようになりました。3R(Replacement, Reduction, Refinement)の原則の理念にも適合する方法としても注目されています。マウスモデルでは、限られた機器と技術で遺伝子改変個体を作出できる方法も報告されており、これまで遺伝子改変研究に参入してこなかった研究者にも門戸が開かれつつあります。